小骨通信 2002/08
Subject: 小骨通信 100人村をもう一度
Date: Thu, 08 Aug 2002 00:59:03 +0900
骨太です。中国の続きがなかなか出なくてすみません。昨晩「世界がも
し100人の村だったら」の本を出版された池田香代子さんの講演があ
りました。インターネットで流れてきた、世界の人々を100人に縮めて
眺めてみる話、小骨通信で流したのが去年の4月のことでした。(下記
にバックナンバー載せてます)
http://www.spacelan.ne.jp/~hone/kobone/0104.html
あの時、肯定的な意見と否定的な意見がたくさん返ってきて、わたしゃ
そのまんま、なるほどねえと納得していたんですが、そういう見方もあ
るんだと気付きました。そうはいっても、これを読んで、それぞれがど
う生きるかが問題であって、そのきっかけとなったあのメールはとても
有意義なもんだと解釈していたわけです。
その後本になって出版されたということで、手元にはあったんですが、
内容をしっているつもりのその本に手が伸びることはなく、積んである
ほかの本を優先させていたのでした。
ところが、昨日何人かの方による朗読と、再話者池田香代子さんの出版
に至る経緯をお聞きして、ずいぶんと素敵な話になった印象を受けまし
た。ぜひ読み比べてみてください。私もまた何度か読みました。これな
ら不快に感じる人はかなり減ったのではないでしょうか。池田さん自身
もメールを読んだときに感動したけど、どこか引っかかったとおっしゃっ
てます。
数字の妥当性について疑問を投げかける人もいました。同性愛者が11人
もいるわけないって。でも池田さんが専門家に調査委託したところ妥当
な数字だったそうです。いるわけがないのではなくって、我々が知らな
いだけですね。自分の無知も再認識。
池田さん曰く、世界が100人に縮まったところがミソだそうです。おお
もとのおおもとは1000人だったそうです。途中から1桁減りました。100
人なら顔がわかる範囲で心に響くのですね。顔を知っている人が辛い境
遇にあったら、無関心ではいられませんもんね。
池田さんは素敵な方でした。そしてその会を世話されていた方たちも、
とっても素敵な雰囲気を創っていらっしゃいました。こういう会では、
ほんとうに男性が少ないですよねえ。残念ながら、女性の時代なような
感じがします。我々男衆もがんばらねば。わが家庭を守ることも大事で
すが、世界の状況にも目を向けられるような、100人の村人全員がハッ
ピーに暮らせるように今日を生きられるような、そんな大人に私はなり
たいと思っているのですが。
Subject: 小骨通信 日本もアフガンを苦しめている
Date: Wed, 14 Aug 2002 10:21:57 +0900
骨太です。長らくかかりましたが、中国見聞録をウェブにアップしまし
た。もしよかったらご覧ください。
http://www.spacelan.ne.jp/~hone/china/01.html
先日金沢に来てお話いただいた「世界がもし100人の村だったら」の
池田香代子さんからのメールです。アフガンの犠牲者は我々日本人も作
り出しているということがよーくわかりました。法律の不備や行政の問
題だけではなく、こういった事実を知らない伝えない、わたしたち一般
市民にも大きな責任があるように思います。
++++転送歓迎 ここから++++++++++++++++++
池田香代子です。
2002年夏のこのくにの、どこまでも続くかと思われる青空の下に、
今、ひとりのアフガン少数民族出身の方のご遺体が横たわっています。
日本では年間自殺者が3万人以上と聞いて、顔色を変え、「日本人はそ
んなに不幸なのか、アフガンでは、家族を殺されても、あした食べるも
のがなくても自殺などしない」と言うのが、アフガンのみなさんの平均
的な反応です。在日アフガン人の自殺率の高さは、異常をはるかに通り
越しています。被収容者の未遂も含めれば、彼らにとって、このくには
まさに地獄です。
難民受入関連法を、真に実のあるものにしなければ。
難民認定のための公正な第三者機関を作らなければ。
認定を求める人々は、たとえば肉親を殺され、自身傷も癒えぬまま、長い
こと捕縛の恐怖にさらされたため、戦争PTSDをかかえて、ただでさ
え身も心もずたずたなのだという認識をそなえた医療関係者をふくめた
専門家により、すみやかに認定非認定がなされる制度を整えなければ。
数日来、このことで胸もつぶれるような思いで過ごしていました。
在日のアフガンの方々は、過酷な経済状態にもかかわらず、即座に多額の
カンパに応じられました。
なくなった方のご兄弟は、難民として安全にヨーロッパにお住まいですが、
このたび埋葬のため、命がけでアフガン入りなさるそうです。
もうこんな遺書を読むのはたくさんです。
彼の妻子は、昨年10月、彼が国会の院内集会で難民受け入れを訴えていた
ちょうどそのころに、アメリカ軍の空爆で殺されました。
*****岩田さんのメール、転送ここから******
<<アフガニスタン難民、故ユノス・タヒリさんの遺体を祖国に送り届
けてあげたい移送の資金援助をお願いする緊急要請>>
8月9日深夜、アフガニスタン難民ユノス・タヒリさんが自殺しました。
タヒリさんは、99年4月に難民申請、アメリカがアフガニスタンに空
爆を開始してから約2ヵ月後、申請から約2年半後の2001年11月に
ようやく在留特別許可を得ました。しかし、今年1月、タヒリさんはア
フガン国内にいるはずの奥さんと2人の子どもさんを呼び寄せるために、
イランにお兄さんを訪ねたところ空爆で奥さんとお子さんがすでに亡く
なっていることを知らされました。
難民と認定された他のアフガニスタン人がイランやパキスタンに行き一時
の再会、家族の呼び寄せを果たしのとは対照的な、難民資格を求めて耐
えた5年余りの努力に対する悲しく空しい報償でした。
難民調査官による異議申出の調書と意見は、2000年末には本省に提出
されていました。、一向に裁決が返って来てこないために思いつめ「入
管に収容してもらう、そうすれば入管は僕のことを忘れないから」とも
らしていたタヒリさん。ようやく定住者の資格を得えて、満面の笑みを
浮かべていたタヒリさん。在特がせめて半年早く出ていれば、と思うと、
日本の難民認定制度が彼を死に追いやったとの思いがつのります。
イスラムでは遺体は、焼かずに埋葬します。そのため、タヒリさんが
亡くなった日からアフガニスタンの人たちが腐心したのは、タヒリさん
をイランあるいはアフガニスタンに送るための費用の捻出です。11日
の告別の集まりもそこそこに彼の同国人たちは、お金を出しあいました。
その額約70万円。彼らは「これがぎりぎりです」。
必要なお金は約150万円です。すでに名古屋や関東の同国人たちに募金
の動きが始まっています。日本人からも、いち早く「100人村基金」
からの資金援助の申出をいただいています。
タヒリさんの遺体は、金曜日の飛行機でパキスタンに送り、そこで、ドイ
ツから難民と認定されたお兄さんが遺体を引き取り、車でアフガニスタ
ンに運ぶこととなっています。
なんとか私たち日本人も、亡くなったタヒリさんを弔い、祖国に送り届け
ようとするアフガニスタンの人々の列に加わりたいと思います。どうか
移送のための資金を援助してください。
緊急のことゆえ、以下のところにカンパをお寄せください。
<振り込みの場合>
水都(すいと)信用金庫
赤川町支店
普通 949122 岩田賢司(いわたけんじ)
<現金書留の場合>
大阪市中央区玉造2-24-22
カトリック大阪シナピス難民委員会
(「タヒリさんの移送費援助」と書いて送ってください。)
以下は生前ゆかりのあった毎日新聞の記者の方々が、彼の墓碑銘として
書いてくださった記事です。大阪のアフガニスタン難民には、徒労感が
広がっています。あるハザラ人の難民申請者は、「ハザラ人がパシュト
ゥン人やタジク人に殺されるのをいっぱい見た。溝に捨てられた人、井
戸に投げ込まれた人、井戸に吊るされた人、毎日葬式。『ハザラ!』と
遠くから呼びつけられ、自分で自分の墓を掘らせ、殺した。いっぱい、
いっぱい見た。タリバン、パシュトゥン人同じ。タリバン強いとき、タ
リバンと言う。今は自分を『タリバン』と言わないだけ。私たちずっと
住んでたから分かる。マスコミの人、ちょっと来て聞いて書くだけ」と
話してくれました。アフガニスタンでのあまりに明白な迫害が、日本で
は真実として受け止めてもらえないことに、彼らは心底疲弊しています。
彼らを励ます意味でも是非ともカンパをお寄せください。
************************************
難民:
在留許可のアフガン人男性が自殺 妻子の空爆死知り
日本で難民認定申請し、不認定になったものの法相の「在留特別許可」
(在特)を得ていたアフガニスタン人のユノス・タヒリさん(30)が
9日深夜、大阪市生野区の自宅アパートで自殺した。申請を約2年半放
置された末に「在特」を得て、今年初め、アフガンの家族を捜しに行っ
たが、米軍などによるアフガン空爆で妻子が死亡したのを知り、失意の
まま日本に戻っていた。また、親しかったアフガン人難民申請者が強制
収容されたことが追い打ちをかけた。支援者らは「申請をすぐに審査し、
難民認定していれば、家族呼び寄せの可能性もあった。タヒリさんも、
タヒリさんの家族も死ぬことはなかったはず」と憤り、母国へ遺体を送
るための資金集めを始めた。
関係者によると、アフガンの友人らにあててノートに記された遺書には
「体は元気でも、私はごみのようなもの。生きていても何の意味もない」
などと書かれていた。
タヒリさんは99年3月来日し、4月に難民申請。9月に理由が明かさ
れないまま不認定となり、異議を申し出ていた。しかし、申し出は放置
され、昨年9月の米同時多発テロ、10月の米軍などによるアフガン攻
撃開始後の11月に、異議申し出却下とともに、法相の裁量で「在特」
が出され、1年間の在留資格が与えられた。今年1月、タヒリさんはア
フガン国内にいるはずの妻と2人の子どもを呼び寄せる準備のため、兄
のいるイランへ向かい、空爆で妻子が既に死亡していることを知らされ
たという。
タヒリさんと親しかった在日アフガン人男性(32)によると、イラン
から戻ってきたあと、タヒリさんは「もっと早く在留が認められていれ
ば、こんなことは起きなかった」と落ち込んでいた。また、一緒に働き、
仲が良かったアフガン人の難民申請者(42)が申請を長期間、放置さ
れた末、3月に異議を却下され入管に強制収容されたことにもショック
を受けていたという。
タヒリさんは少数民族、ケゼルバッシュ人で、反タリバン活動に参加。
96年にタリバンに拘束されたが、イランへ逃走。99年3月に貨物船
で山口県下関市に上陸した。
アフガン難民弁護団代表の大貫憲介弁護士は「難民に過酷な日本の政策
により、また犠牲者が出た。早急に認定し、家族を呼び寄せていればこ
んな悲劇は起きなかった。迅速、公平な認定制度に一日も早く改正すべ
きだ」と話している。 【山成孝治、磯崎由美、村元展也】
※視点※
難民認定申請したアフガン人の自殺は、ユノス・タヒリさんで今年2
人目。申請中に「不法滞在」などで入管施設に身柄拘束された人たちの
自殺未遂も相次いでいる。タリバンの迫害を逃れてきた人々が、救いを
求めた日本で死を選んでいる。
イランへ行く前の昨年12月、妻子との再会を信じていたタヒリさんの
うれしそうな様子が今でも目に浮かぶ。ところが、日本に戻ってきて以
降は、人が変わったようで、話しかけるのもはばかられるようになった
と、支援者は振り返る。 タヒリさんのような例はアフガン難民だけで
はない。トルコ国籍のクルド人男性は98年、申請を2年以上放置され
「この国はだめだ」と言い残して帰国、何者かに殺害された。
日本は国連の難民条約に加わっている。しかし、迫害された難民を救
うどころか、さらに迫害しているのではないか。タヒリさんの死を重く
受け止めねばならない。【山成孝治】[毎日新聞8月11日] (
2002-08-11-03:01 )
*****岩田さんのメールここまで******
(Tさんの遺書) 仮訳
神の名において
アフガニスタン人の皆様、兄弟の皆様、私の体が皆様を悲しませることを
謝ります。
私は、本当に、この生活に疲れた。これ以上、この世界に残る必要はない。
残ることに意味はない。
私の体がどうなっても関係ない。
私が自殺したことは、家族には言わないで下さい。
脳のショックで死んだと言って下さい。
人は皆いつか死ぬ。
わかっているから、私は自殺する。
私が皆様の悪口を言っていたり、悪いことをしていたとしたら、謝ります。
ごめんなさい。
アフガニスタンの皆様へ
2002年8月9日 午後11時
誰かが私に教えたのではありません。私が、自分で自殺をしました。
+++++++転送ここまで+++++++++++++++++
Subject: 小骨通信 タヒリさん祖国へ
Date: Sat, 24 Aug 2002 02:27:43 +0900
前回の小骨通信で自殺されたアフガンのタヒリさんを祖国へ送る件で、
日本を出発したという知らせが入りました。以下、文章を転送します。
ご協力ありがとうございました。日本人として、どうすればこういった
理不尽なことをなくせるか、考えていきたいと思います。
亡くなったタヒリさんに心を寄せるみなさまへ。
文責:岩田賢司(RINK)
亡くなったタヒリさんを祖国に送るために多くの援助金を寄せていた
だきありがとうございました。葬儀会社への支払い120万円(少しま
けていただきました)、東京への遺体の移送費用を支払っても、50万
〜60万円あまる計算になりそうです。
遺体を引き取るために旅費を工面してドイツから来られたお兄さんや
イランに残る親族の方々にお渡しできればと思います。また、多額の寄
付を寄せていただいた方には、お返しできればと思います。
寄付募集はこれにて終了とさせていただきます。みなさまのご厚意、
ほんとうにありがとうございました。最終的な金額はあらためてご報告
させていただきます。
タヒリさんが亡くなった当夜は、告別式のようなものができるとは思
いもしませんでしたが、10名ほどの同国人の友人、40名〜50名の
日本での友人がご参集くださり、遺体を引き取ってくださった玉造カト
リック教会で、村田神父主宰の下、イスラムの祈りが流れる告別式を行
うことができました。
また、カトリック教会での葬儀を受け持たれている会社、レクイエム
会の方々は「こんな時ぐらいしかお役に立てませんから」と警察からの
遺体の引き取りや、空港への搬送を親身になってお手伝いくださいまし
た。
告別式の当夜、遺体を送るために同国人が集まって、お金を出し合い
ました。60万円ほど積まれた時、「私たち、これでせいいっぱいです」
とある難民申請者。「助ける日本のエヌ・ジー・オーないですか」と尋
ねた彼に、「そんなNGOはない、お金がなければ体、焼くしかない」と
説明した時、彼の苦痛にゆがんだ顔が忘れられません。「なんと理不尽
な…」と彼の顔は語っていました。
「日本人からもたくさんお金もらったよ、みなさん助けてくれたよ」
と彼らに報告することができ、本当にうれしく思います。また、奈良、
東京、名古屋、北海道の各地のアフガニスタン人から寄付も50万円以
上の寄付が寄せられました。
多くの人が彼のために寄付されたことを考えると、今更ながらタヒリ
さんの死が口惜しく思われます。
また、この寄付の御願いに際して、タヒリさんのプライバシーを侵さ
ざるを得なかったことを、彼に対して申し訳なく思います。難民申請者
は、日本の無理解の壁を乗り越えるために自分たちの苦しい経験を訴え
なければなりません。いつでも彼らは、日本の人々の無理解を抗して訴
えたいという思いと、自分の痛ましい経験を口にする苦しみの葛藤の中
にいます。また私たち支援者も、彼らの情報を提供することが、たとえ
彼らの了承があったにせよ、彼らの本当に利益になっているのかという
いつも自問自答答えのない問いをわざるを得ません。そして今回は、了
承を得るべき人がすでに亡くなっています。どうか、アフガニスタンに
送られたタヒリさんの遺体とともに、「転送歓迎」と冠して流したメー
ルを情報も閉じてくださるよう、お願い申し上げます。
Subject: 小骨通信 西日本入管視察の報告1
Date: Sat, 24 Aug 2002 02:45:26 +0900
骨太です。金沢の谷口知香子さんが、大阪の西日本入管センターに行っ
て難民申請で収容されている方と会い、その様子を報告してくれたので、
ここに転送させていただきます。ああ、ほんとに自分は何も知らなさす
ぎ!!感じなさすぎ!!人としてヤバイわ。
**************************************************************
みなさん
こんばんわ
8月12日(月)
茨木市にある西日本入管センターへ行き
収容されている7人の方たちに会ってきました。
その報告をします。
こういう物を書くのは初めてなので読みにくい所もあると思いますが
ご了承ください。
茨木市は新大阪から京都へ向かう電車に乗り、
5つ目(たしか)の停車駅に位置します。
駅前は普通の賑わいがある街並みでした。
あまり賑わっていたので、
「ここに、収容センターがあるのかぁ?」と妙な
心境になりました。
そこから車で10分。
民家の間を通り抜けて、あっという間に到着しました。
私は、もっと人里離れた所、というイメージを持っていたので、
あまりに普通の家々が近くにあったので驚きました。
門の所で、紙に名前を記入し、車のナンバーを控えられ
入場許可証(って、言うのかな?)をもらい、収容センターの
建物まで車を走らせました。
そこへ行くまでの1本道。
道路の両側には青々とそびえたち、爽やかな風にゆらゆらと揺れる大きな木々。
太陽の光を隅々まで浴びて。
その美しい光景が、収容されている難民の方々に今から初めて会いに行く
私の心を締めつけました。
収容センターの正面に到着。
とてもきれいでした。
2階へ上がり、面会の手続きを行う。
1人に会うために1枚の申請書が必要なので、8枚書きました。
面会の順番は、こちらから決める事が出来ました。
TAKAくんたちは毎日来ているため特別な、書く欄が少ない用紙を
最近作ってもらったそうです。
私たちと同じ時間に、岡本さんという茨木市にお住まいの方が面会申請を
されていたので、私たちはその後ということで待合場所で30分ほど(もっとかも)
待っていました。
職員に呼ばれ、面会場所へ向かう。
行く途中でロッカーに荷物をしまい、また少し歩いて面会場所に着きました。
5〜6部屋、左右に分かれて面会をする部屋があり、私たちは1番奥の
面会場所に入りました。
話には聞いていましたが、狭かった。
パイプいすが3個並び、
右の壁には面会での注意点が書かれたボード、
前には彼らと私たちに決定的な距離を突きつける透明な壁、
向こう側にもパイプいすが3個並び、
その後ろに立ち会いの職員のいすが1つ。
向こう側が少し薄暗く見えたのは、気のせいだろうか?
2につづく
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Subject: 小骨通信 西日本入管視察の報告2
Date: Sat, 24 Aug 2002 02:45:37 +0900
前回の続きです。
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面会は30分ずつ。
1、クルド人 1人
2、アフガニスタン人 3人
3、アフガニスタン人 2人
4、アフガニスタン人 1人
という風に分かれて面会を行いました。
ここからは、収容されている方々のおっしゃったことを
そのまま箇条書きで、書きたいと思います。
1 クルド人 30代
収容期間 5ヶ月間
・胸と背中がとても痛い
・血圧が高いので頭が痛い
・いつも医者は血圧を計るだけ。
我慢するしかない
・いつまでの収容か、という期限が決まっていないのでつらい
・東京(牛久)が出ているのに、なぜここは出られないのか
ここと、東京は何が違うのか
・頭がおかしくなる
・国にいる母は、糖尿病を患っている。今までの電話では、いつも
泣いていた。しかし、最近は電話に出ない。病気がひどくなっているのでは
と、心配している。
・母が死んだら生きている意味がない。
・病気がひどくなったから、「出ていいよ」と言われても意味がない。
そんなことなら収容所で死ぬ。
”今” この元気な体の時に出ないと意味がない。
・私も人間。
捕まえられている説明がほしい。
・周りは全部壁。
なぜ?
・外へ出たら、世界の、みんなの幸せを作ることに努力したい。
この方は、とても日本語が上手で
私にも「本当に有り難う」と、言ってくれ気遣いのあるやさしい方でした。
でも、どんどん話されていくうちしばらく下を向いたままになったり、
大きなため息をついたりされていました。
2 アフガニスタン人 2人 (内1人20代 1人30代)
クルド人 1人 30代
収容期間 4ヶ月間 7ヶ月間 14ヶ月間
・めまい
頭が痛い
・薬が切れて胃が痛い
・常にクラクラする→新しい薬が合っていないのかも
この3人のうち、1人は最近洗剤を飲み、自殺未遂を計り、
他の1人は熱湯をかぶろうとして職員に止められました。
収容期間が14ヶ月間の方が途中、手で頭を押さえ黙ってしまいました。
3 アフガニスタン人 2人30代
収容期間 4ヵ月半 3ヵ月半
・薬が必要だということを申請書に書いて職員に提出したが,6日待たされた。
・食事の中に卵が入っており、アレルギーなので何か他のものに変えてほしいと
申請書を得出したが、12日たった今でも返事がない。
・腰が痛い。 眠れない。
・毎日の平均睡眠時間 2時間から3時間
お2人のうちの1人が日本人の様な顔立ちでした。
とても瞳が優しかったです。
お2人とも日本語がそれほど話せないので、コミュニケーションが難しかった。
4 アフガニスタン人 1人30代
収容期間 5ヶ月間
・眠ることが出来ない
・医者に診てもらいたくて、申請しているがいまだに行っていない
・何もやりたくない。
何も意味がなくなっている。
未来に意味はない。
長い間収容されている事にだけ意味がある。
2000の署名は意味がないのか?
(今、署名集めをしているご本人がこの方です)
この方は、この間まではとても明るかったそうです。
この時は、「意味がない」と、ずっと言い続けており、目はうつろで、
本当に心身ともに疲れの限界に来ていることがよく分かりました。
あまりに何度も言うので、TAKAくんも返す言葉を失って沈黙になることもしばしば。
面会場所を出る前に振り返り、こちらをみつめた瞳が忘れられません。
面会が終わり外に出ると、太陽の日差しが一層増していました。
このまぶしいほどの光を、1日でも早く収容されている方々に注げるように
しなければ、と改めて思いました。
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このことを知った今も何も行動を起こしていない自分って一体何者なん
だろう。。。
Subject: 小骨通信 地球史の転換点
Date: Thu, 29 Aug 2002 17:03:59 +0900
骨太です。今ヨハネスブルグで地球サミット行われています。早急に世
界中が対策をとらないと、地球は死の星となること確実のようです。市
民団体は必死で訴えていますが、各国首脳は状況認識して針路変更して
くれるかどうか、非常に重要な歴史の転換点と思われます。特に大国ア
メリカの行方が気になります。
現地にサッカーの岡田元監督もNGOネットワーク『地球村』の一員とし
ていってらっしゃるようで、そのインタビューが今夜のテレビで放送さ
れるということです。人類全体に関係あること、地球上の全てに関する
こと、みんなで注目していかんなんと思うのだけれど。
BS1
23:00〜23:35 ワールドニュース
(一部2か国語)
▽南ア発・岡田元監督の環境保護活動
Subject: 小骨通信 ボランティアキャンプの合宿
Date: Fri, 30 Aug 2002 00:13:00 +0900
骨太です。8/16から20までの4泊5日でNPOボランティアキャンプの合宿
を能登の門前町で行いました。参加者は大人も含めて30人強。企画から
参加者募集、運営に至るまで全部中高生が主体でするというものでした。
大人スタッフの役割は、対外折衝や車の手配など、そして適当なアドバ
イスといったところ。
彼らのミーティングを私は最初からずっと見てきましたが、毎週堂々巡
りだった春の設立当初の状態から思うと、こんだけの合宿を動かせるよ
うになったとは、ずいぶん成長したなあと眼を細めるばかり。
超感動したのが、ある晩11時より始まった「しゃべり場」でのこと。話
し合いの途中で、ある大人の参加者から進行について批判があり、それ
に他の大人たちも呼応したもんだから、子どもたちが大反発。口の達者
な大人たちに対して、真っ向から勝負を挑む中高生。
大人の意見ももっともなんだけど、しゃべる時間が長すぎだし、自分と
異なる意見も尊重しなきゃ。一方いまどきの中高生、あの失礼な物言い
に対して、耐えて自分の意見をきっちり述べた。えらい!感動で思わず
涙してしまいました。
思えば、学校をサボって下見に行き、試験前にもかかわらず、夜の12時
ごろまで打ち合わせしたりして。それを当日はじめてきて、食べて寝る
だけのような大人に場を壊されちゃったんだから、ほんとうは怒りに任
せてぶん殴ってもおかしくないとは思うんだけど。
子どもたちがみんなから集めたアンケートを見せてもらったら、一番い
やだったことは「しゃべり場」だったけど、一番よかったことも「しゃ
べり場」と書いている人が多かったのは、なるほどねと思いました。私
の中では合宿大成功!
これが私から見た合宿の感想ですが、なんと二晩も泊まって取材をされ
た読売新聞の記者さんが記事を書いてくれました。第三者の目から見た
合宿もご覧くださいませ。こちらに載せてます。
http://www.spacelan.ne.jp/~hone/pub/list.html
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